2013年12月14日土曜日

年収が多い方が幸せ?どちらかと言うと幸せ?それを疑ってみる

昨日、とある外資系金融機関に勤めている、年収が○億円!!の人とお話しました。

雲の上の存在だし参考ならんわー!とお思いかと思います。僕も全く同じでした。ところがどっこい!

納税額も意味不明なスケールなんですが、その人から聞く価値観が、なんとも普通だったんです。

車は、大体のものは手に入るからよすぎる車はいらない。
マンションは、一人なんだから広すぎるのはいらない。いつでも買えるし賃貸でいい。
所得を増やしたいかといえば、全くそうは思わない。

といった具合。その年収になったらなったで、そこから見える視界にはもっと稼いでる人や社会的承認を得ている人との比較がある。だから、年収が多いとも思わないし、年収一千万でもあんまり満足度は変わらないかな。と。

なんだか聞いてて寂しい感じと同時に、「なるほど!」と教えをいただいた気がしました。

レイヤー化する社会。という本があって、僕はすごく信奉してるんですが、僕の今の思ってる中では、

年収100万円、300万円、1000万円は、そのレイヤーの中で幸不幸があり、100<300<1000という数式はなくて、100のレイヤーの中、300の中、1000の中で、それぞれあんまり変わらないくらい、幸福度を高く感じる人と低く感じる人が分布してるんじゃなかろうか、と。

だから、所得を高くしようとも思んだけれども、それはそれとして、むしろその所得の中での幸福度を高める事を求めるんじゃないのかな。
それの高め方は千差万別で、決定的な答えはないんですが、ただ、自分自身が、主体的に変化する、という事だけは間違いないように感じます。

その、主体的に変化するという、何から着手していいものか。そして、変化をしていると言っても結果が出るためには毎日の繰り返しをする必要があってしかも目に見える結果として自覚できるかどうかはわからない。

そんなものだから、出来なくて当然。出来なければしょんぼり、ということになるかもしやない。うーん難しい。けど、なんとなく、導きたい方向がこーゆーことなのかな。というところに少し近づいた気がしました。

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