二年前って、実はあんまりいい事なかったんだー。
という話を聞いた時。
どこを見るかによって、会話の成果は変わります。
「そっかー。辛かっねー」というパターン。
そして、
「そうなんだ。それが僕に言えるってことは有る程度乗り越えたんだね。」
という場合。
この会話の違いはお分かりでしょうか?
前者は、辛かった時の延長線上に今があります。
後者は、当時と今は延長線上にはあるけれども、すでに決別しています。
これはものすごく些細な事です。
おそらく、前者でも後者でも、相手が受ける印象、会話の成果に違いはないはずです。
しかし、後者の返答を聞いた相手の無意識では、その二年前の少し辛かった思い出は、今この時から振り返る時、どこかで線路のレール切り替えが行われたかのような。
流れが変わって、その結果今があるような感覚を植え付ける事が出来ます。
もっとわかりやすい例えで言えば、子供の頃に98点の答案を持って帰った時、
「でかした!」と言われるのか、
「どこを間違えたんだ!」
と言われるか。
これで98点の獲得した点数そのものの自分の評価に関わってきます。答案を見る都度、その怒られた、理不尽さを味わった感覚が蘇るような。
ただ、今回書いたどちらの例えでも、「どちらの方がよろしい」というわけではありません。
負けん気が強く、挑発した方がいい空気感、交友関係なのか?
それとも打たれ弱い相手で癒しの言葉が欲しくてその話にまさに今なっているのか?
とにかく相手を観察し、相手に対してより効果のあるフィードバックをしてあげる。
そしてこれは、全て意識的に行うわけにはいきませんので、実はコミュニケーション能力の高い人と日々接している人は、自然と、空気感を無意識で判断しつつその空気感と一致したキャッチボールをしますし、空気感を感じることが出来にくい人は、残念ながらミスマッチが多くなるかもしれません。
なかなか実験するには難しいですが、「よくわからないけど、なんかこの人と居ると安心する。心地良いわ」と思う方と、全然そうじゃない人。
その両者との会話の返答の質を日々観察すると見えてくるかもしれません。
コミュニケーションは本当に奥が深いです。
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